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東京地方裁判所 昭和48年(合わ)17号 判決

被告人 監物今朝雄 外二名

主文

被告人監物今朝雄を懲役一〇年に、

同高橋進を懲役八年に、

同西山正一を懲役五年に

それぞれ処する。

未決勾留日数中、被告人監物今朝雄、同高橋進に対し各一、四〇〇日、同西山正一に対し一、三五〇日を右各刑に算入する。

押収してある時計一個(昭和四九年押第二八七号の二五五)、電池一個(同号の二五六)、スライドスイツチ一個(同号の二五七)、鉄パイプ一本(同号の二五八)、チリ紙様のもの少量(同号の二五九)、油粘土の塊三個(同号の二六〇)、ダイナマイト若干(同号の二六一)、電気雷管一個(同号の二六二)を被告人監物今朝雄、同高橋進から没収する。

理由

(本件各犯行に至る経緯)

被告人監物今朝雄は、本籍地で生まれ、長野県立長野工業高校を卒業後上京し、東京都内の建築設計事務所で働くかたわら、昭和四四年春ころから劇団東演の夜間研究生となり、同四六年二月ころには勤めをやめてフリーの新劇俳優となり、更に同年一〇月ころからは都内北区赤羽の佐藤興業で建築現場監督補助として稼働するに至つていたものであるが、当初劇団東演の仲間に誘われて日本共産党系の集会やデモ等に参加するうち、次第に新左翼的思想に共鳴を覚えるようになり、同四六年四月ころから新劇人反戦グループの一員として、叛軍反軍産運動に身を投じ、右叛軍反軍産運動の過程で鎌田俊彦及びそのグループの者らと知り合うに至り、同人らの抱いていた日本にプロレタリア革命を実現するためには現国家体制を武力を以て破壊打倒しなければならず、その為には爆弾を用いて警察施設等を攻撃しなければならないとの思想に影響され、被告人自身も、圧倒的な警察機動隊の壁の前ではデモ、集会、ビラ配りといつた運動方法は無力であり、より強く自分らの主張を社会にアピールするには、非公然の武装闘争によらなければならないと考えるに至つていたところ、たまたま同年六月一七日明治公園における沖縄返還協定阻止集会において、赤軍派の青砥幹夫らが警察部隊に手製爆弾を投擲するという事件が発生し、これに刺激されて武装闘争への志向をますます強めるに至つていたもの、被告人高橋進は、本籍地で生まれ、昭和四二年一月ころ秋田市立秋田商業高校を中退し、翌年四月上京して都内台東区上野の千代田写真専門学校報道写真科に入学、写真の勉強をしていたが、報道写真に如何なる政治性を盛り込むべきかを思索し、人民の側からの写真とはいかなるものであるかを追求するうち、友人に誘われて左翼実践運動にかかわり合うようになり、所謂王子野戦病院闘争や佐藤首相訪米阻止闘争に参加した体験から、警察機動隊の実力に対抗するには自らも武装しなければならないと考えるに至つていたところ、たまたま同四四年、秋田市で自分が撮影して新聞に投稿した秋田大学学園紛争の写真が証拠となつて学生が逮捕されるという事件がおき、これを契機に秋田大学全共闘の熊谷信幹及び前記鎌田俊彦の実弟にあたる鎌田克巳らと知り合うようになつたが、同人らも、自己と同様、武装闘争の実行を志向していたところから、ここに右三名相共同して、黒色火薬などを用い手製爆弾の試作開発に踏み切るに至つていたもの、被告人西山正一は、本籍地で生まれ、新潟県立三条高校を卒業後、昭和四二年四月東洋大学法学部経営学科に入学、同校で軽音楽サークルに入つてクラブ活動をするうち、同四三年ころ、音楽練習場が図書館建設を理由に取り毀されることになつた際、これに反対する他の学生ら多数と共に学長に対し団交を要求して坐り込みをしていたところ、警察機動隊が導入されて多数の負傷者や逮捕者が出るという事件が発生し、この際の体験から、学内闘争といえども学校当局のみを相手にしていては解決をのぞめず、その背後にある政治権力機構そのものと対決する必要があり、所謂体制を打破しなければ真の自由、平等、独立は得られないのみならず、国家そのものが人民を暴力的に支配するものである以上、反権力闘争は必然的に暴力闘争であらねばならないとの思想を抱くに至り、所謂三菱重工相模原移転阻止闘争や沖縄返還協定阻止運動等に参加する過程で、新劇人反戦グループやその一員である被告人監物と知り合い、更に同被告人を介して前記鎌田俊彦やそのグループとも知り合うに至つていたものであるが、昭和四六年八月末ころ、前記鎌田俊彦が自己のグループに属する西巻幸作、菊池広、亀川行子、宮本幸枝、前記新劇人反戦グループに属する被告人監物今朝雄、青木和久、増山真吾、越後(のち監物)美登里、更に秋田市在住の前記被告人高橋進、熊谷信幹、鎌田克巳、ならびに新劇人反戦グループと交際のある被告人西山正一ら合計十数名に呼びかけ、かつ赤軍派の前記青砥幹夫をも招いて、秋田県小砂川海岸の海の家で合同学習会を開催し、そこで爆弾の基礎知識の講習をするとともに、鳥海山麓で前記熊谷らの開発した黒色火薬を主材料とする鉄パイプ爆弾やピース缶爆弾の爆発実験を行なつた際、被告人ら三名もこれに参加し、各自爆弾の操作方法や、爆弾が実際爆発したときの威力等をつぶさに体得するなどして、爆弾による武装闘争への準備を着々とすすめ、更に、当時、右赤軍派において、同年九月中旬以降に予定されていた千葉県成田市の新国際空港建設反対を目的とする三里塚闘争に際し、現地では警察部隊に、また東京都内では警察施設に、いずれも警察官と相対峙して爆弾を投擲し、相手を皆殺しにするという「黄河作戦」と称する戦いを唱導しており、右合同学習会の席上でも、前記青砥幹夫から参会した鎌田俊彦や被告人らも右作戦に同調参加するよう求められたのに対して、被告人らは、警察官を殺害する点は世間の反発を招くとして同意しなかつたものの、警察施設を爆破することは政治的、社会的プロパガンダーとして効果的であるとの見地から、武装闘争そのものには基本的に同調し、青砥ら赤軍派の爆弾製造技術を共有する趣旨目的で、来るべき闘いに備えて、近い機会に右青砥と被告人らと相共同して爆弾製造をすることを約束するに至つた。

(罪となるべき事実)

第一、ここにおいて、被告人監物は、前記青砥幹夫、鎌田俊彦、西巻幸作、熊谷信幹らと共謀のうえ、昭和四六年九月九日ころ及び翌一〇日ころの二日間に亘り、東京都大田区矢口二丁目二一番都営矢口二丁目アパート一六号棟一〇一二号室の古堅千賀子方居室において、右青砥が前記「黄河作戦」に用いる意図であることを知りながら、これと共同して、治安を妨げ、人の身体財産を害する目的をもつて、右青砥の用意してきたダイナマイト、工業用雷管、導火線及び鉄パイプ等を使用し、鉄パイプ爆弾(直径約三センチメートル、長さ一〇センチメートル乃至一三センチメートルの鉄パイプの外周に格子模様の刻み目を入れ、パイプの中に長さ約一センチメートルに切断した鉄釘片とダイナマイトとを混合充填し、パイプの両端を油粘土で塞ぎ、更にその外側にブリキ板製の外蓋をつけ、一方の外蓋に雷管を挿入するための穴をあけ、そこに起爆装置として工業雷管及び導火線を装着する方式のもの)二個を作製し、もつて爆発物を製造した。

第二、被告人監物は、前記鎌田俊彦、熊谷信幹、西巻幸作らと共謀のうえ、治安を妨げ、人の財産を害する目的をもつて、昭和四六年九月一七日午後九時ころ、東京都杉並区高円寺北二丁目五番警視庁杉並警察署高円寺駅前派出所休憩室西側の窓下側壁に近接して紙袋に包んだ鉄パイプ爆弾(直径約三センチメートル、長さ約一五センチメートルの鉄パイプの外周に格子模様の刻み目を入れ、パイプの中に約一〇〇グラムのダイナマイトを充填し、パイプの両端を粘土で塞ぎ、更にその外側にブリキ板製の外蓋をつけ、一方の端に電気雷管を挿入し、右雷管と二二・五ボルトの積層乾電池とを、旅行用目覚時計を改造して作つた時限閉路装置をもつ電気回路で接続して起爆装置とした方式のもの)一個を設置し、翌一八日午前二時五五分ころこれを爆発させ、もつて爆発物を使用した。

第三、前記第二の犯行で使用したダイナマイトが赤軍派の前記青砥から提供を受けたものであつたことから、赤軍派に依存せず自力でダイナマイトを調達しようと考え、ここにおいて、被告人高橋は、前記熊谷信幹、鎌田克巳と共謀のうえ、昭和四六年九月末ころの午後九時すぎころ、秋田県男鹿市脇本富永字寒風山二九番地にある寒風石材株式会社寒風山採石現場コンプレツサー小舎から、同現場火薬類取扱保安責任者吉田順作の管理にかかる三号桐ダイナマイト(一本五〇グラムのもの)約六〇本、アンホ(硝安油剤爆薬)約三〇〇グラム、電気雷管、工業雷管各五〇本、導火線二巻(一巻の長さは約一〇メートル)、補助線二巻(一巻の長さは約一〇〇メートル)(以上時価合計約七九五〇円相当)を窃取した。

第四、被告人高橋は、前記熊谷信幹、鎌田克巳と共謀のうえ、治安を妨げ、人の財産を害する目的をもつて、前記窃取にかかる三号桐ダイナマイト約六〇本、アンホ約三〇〇グラム、電気雷管、工業雷管各五〇本、導火線二巻を、昭和四六年九月末ころから同年一〇月八日ころまでの間、秋田県秋田市手形扇田四二番一四号森吉アパートの当時の右熊谷方居室内に隠匿し、もつて爆発物若しくはその使用に供すべき器具を所持した。

第五、被告人監物、同高橋の両名は、前記鎌田俊彦、鎌田克巳、熊谷信幹と共謀のうえ、昭和四六年一〇月八日ころの午後一〇時すぎころ、秋田県秋田市手形大松沢九五番地にある株式会社三田商店秋田支店一号火薬庫内から、同支店火薬類取扱責任者高瀬公の管理にかかる三号桐ダイナマイト一箱(一本一〇〇グラムのもの二二五本入り)(時価約五八〇〇円相当)を窃取した。

第六、被告人監物、同高橋の両名は、前記鎌田俊彦、鎌田克巳、熊谷信幹と共謀のうえ、治安を妨げ、人の財産を害する目的をもつて、前記窃取にかかる三号桐ダイナマイト二二五本を、昭和四六年一〇月八日ころから翌九日ころまでの間、秋田県秋田市手形からみでん三番六七号阿部アパートの当時の被告人高橋方居室内に隠匿し、もつて爆発物を所持した。

第七、被告人高橋は、前記鎌田俊彦、熊谷信幹、西巻幸作、菊池広らと共謀のうえ、昭和四六年一〇月二一日の国際反戦デー後の警備の虚をついて、都内の警察施設数個所に一斉に爆弾を仕掛けてこれを損壊し、もつて警察機構に打撃を与えるとともに、世間を聳動させようと企図し、ここに治安を妨げ、人の身体、財産を害する目的をもつて、同年同月二三日ころ、東京都大田区西蒲田四丁目一九番一号みゆき荘一階一八号室の当時の右菊池方居室において、鉄パイプ爆弾三個(「その一」は当夜荻窪警察署四面道派出所に仕掛けられたもので、直径約三・二センチメートル、長さ各約一一センチメートル、約一二センチメートル、約一三センチメートルの三本の鉄パイプを一つに束ね、各鉄パイプの中にそれぞれダイナマイトを充填し、各両端を油粘土で塞ぎ、うち一本の鉄パイプの一端から電気雷管一本を挿入し、右電気雷管と二二・五ボルトの東芝製積層乾電池とを、リズム時計製シチズンブランドの旅行用目覚時計を改造して作つた時限閉路装置をもつ電気回路で接続して起爆装置とした方式のもの、「その二」は当夜代々木警察署清水橋派出所に仕掛けられたもので、直径約三・四センチメートル、長さ約一六・三センチメートルの鉄パイプ一本にダイナマイト約一〇三グラムを充填し、その両端にチリ紙様のものを詰めたうえ、油粘土で塞ぎ、一方の端から六号電気雷管を挿入し、右電気雷管と二二・五ボルトのナシヨナル製積層乾電池とを、セイコー製旅行用目覚時計を改造して作つた時限閉路装置をもつ電気回路で接続して起爆装置とした方式のもの、――押収してある時計(昭和四九年押第二八七号の二五五)、電池(同号の二五六)、スライドスイツチ(同号の二五七)各一個、鉄パイプ一本(同号の二五八)、チリ紙用のもの少量(同号の二五九)、油粘土の塊三個(同号の二六〇)、ダイナマイト若干(同号の二六一)、電気雷管一個(同号の二六二)は右鉄パイプ爆弾を分解した部品でいずれも同爆弾を組成していたもの――、「その三」は当夜中野警察署に仕掛けられたもので、直径約三センチメートル、長さ約一〇センチメートルの鉄パイプ一本にダイナマイト約一〇〇グラムを充填し、鉄パイプの両端を油粘土で塞ぎ、鉄パイプの一方の端に電気雷管を挿入し、右電気雷管と二二・五ボルトの東芝製積層乾電池とを、シチズン製旅行用目覚時計を改造して作つた時限閉路装置をもつ電気回路で接続して起爆装置とした方式のもの)及びダイナマイト爆弾一個(当夜本富士警察署弥生町派出所に仕掛けられたもので、一本一〇〇グラムのダイナマイト十数本を一つに束ねてこれを油粘土で被覆し、その中に電気雷管一本を埋め込み、右電気雷管と乾電池とを時計を改造して作つた時限閉路装置をもつ電気回路で接続して起爆装置とした方式のもの)を各作製し、もつて爆発物を製造した。

第八、被告人高橋は、前記西巻幸作と共謀のうえ、前記製造にかかる鉄パイプ爆弾「その一」を携行し、昭和四六年一〇月二三日午後九時すぎころ、東京都中野区桃井一丁目一番一号警視庁荻窪警察署四面道派出所に赴き、治安を妨げ、人の財産を害する目的をもつて、同派出所北側の壁に近接して右爆弾を設置し、翌二四日午前二時〇七分ころ、危く発見収納された同派出所前路上の爆弾処理車の処理筒内でこれを爆発させ、もつて爆発物を使用した。

第九、被告人監物は、新劇人反戦グループの梶原譲二と共謀のうえ、前記第七記載の鉄パイプ爆弾「その二」を茶色紙袋(昭和四九年押第二八七号の二五三)サンケイ新聞(同号の二五四)に包んで携行し、昭和四六年一〇月二三日午後九時三〇分ころ、東京都渋谷区本町三丁目一一番二号警視庁代々木警察署清水橋派出所に赴き、治安を妨げ、人の財産を害する目的をもつて、同派出所東側の壁に近接した地上に、右爆弾が翌二四日午前二時ころに爆発するよう時限装置を作動させたうえ、紙包のままこれを設置し、もつて爆発物を使用した。

第一〇、被告人高橋は、前記熊谷信幹、鎌田克巳など秋田市に在住する者達と相語らい、昭和四六年五、六月ころから宮城県仙台市荒巻字東山一二番地にある米軍仙台無線中継所を爆破することを検討していたものであるが、同年一〇月八日ころ、前記鎌田俊彦及び被告人監物が判示第五の犯行のため秋田市に入た際、右五名で話し合つて前記仙台無線中継所爆破を同人らの将来の行動計画の一環として取り上げることを決め、同年一〇月一四日ころ、東京都中野区松ヶ丘一丁目二〇番二号飛雲閣二階二六号室の前記亀川方に、右鎌田俊彦、被告人監物、同高橋、熊谷信幹のほか前記西巻幸作、菊池広、亀川行子らが相集い、同所で前記第七ないし第九の所謂連続交番爆破の犯行の打合せをした際、爆破実行後逃走を兼ねて、被告人監物、同高橋、熊谷信幹、越後美登里の四名が仙台市に赴き、秋田市から来る鎌田克巳と合流して右無線中継所の下見をし、同中継所の爆破が実行可能であるか否かを確かめてくることが決定された。その後、同年一一月初めころ、被告人高橋が前記下見の際に撮影した右無線中継所の写真が出来たことから、そのころ再び前記亀川方に被告人監物、同高橋のほか前記鎌田俊彦、熊谷信幹、西巻幸作、菊池広、沼知義孝、亀川行子、宮本幸枝らが相集い、右写真を見ながら種々検討の末、遂に同所において、右の者らの間で仙台無線中継所爆破の実行に踏み切ることの謀議が成立し、実施計画の細目の策定は被告人監物及び熊谷の両名に委ねられた。そこで右両名は時に鎌田俊彦をも交えて更に随時協議を重ね、結局、爆破の対象はパラボラアンテナ二基とし、アンテナの脚のそれぞれにダイナマイトを仕掛けること、爆破に際してアジトは特に設けず、現地の山中でキヤンプすること、爆弾を仕掛けるために要する人数は三人を見込み、具体的には被告人監物のほか熊谷信幹及び梶原譲二とすること、仕掛けた後の逃走には自家用車を使い、運転要員は二名として具体的には鎌田克巳と被告人西山を予定すること、逃走用車両には被告人西山の車を利用し、かつ同被告人の新潟県燕市の実家を中間アジトとし、爆弾を仕掛けたあと直ちに仙台から新潟の西山方まで右車で逃げること等を内容とする計画案を作成した。

そこで、被告人監物は同月一〇日ごろ、前記梶原譲二と都内新宿の喫茶店で会い、前記計画を打明けて同人の参加を要請したところ、同人もこれを承諾し、そのころ右梶原との間で前記仙台無線中継所爆破に関する共謀が成立した。

更に、同月一四日ころ、新潟県燕市大字杣木三一〇二番地の一有限会社西山化学工業所(経営者は被告人西山の実父耕平)方工場二階において、東京から被告人監物、鎌田俊彦、熊谷信幹、西巻幸作、菊池広、沼知義孝らが参集し、既に右西山方に来ていた被告人西山、同高橋及び秋田市からやつてきた鎌田克巳らも列席して、右仙台無線中継所爆破についての最終謀議を持ち、その席上で前記鎌田俊彦が右施設を爆破することの意義を説明し、被告人監物が前記策定にかかる爆破計画の細目を提示し、列席者全員がこれに賛成し、右計画に従つて同月二一日から二二日にかけて爆破を実行することを決定し、ここに、右同所において被告人西山及び鎌田克巳との間にも右爆破に関する共謀が成立した。

かくして、同月一九日朝、被告人監物はダイナマイト等を携行し、右熊谷信幹及び梶原譲二の両名と共に前記沼知義孝の運転する車で東京から仙台に向かい、松島で一泊したのち目的地の仙台市荒巻字東山通称国見の山中に至り、無線中継所付近で露営して終夜中継所内外の動静を観察し、夜間巡廻等の事実がないことを確認したうえ、一旦仙台市内に戻り、同月二一日朝新潟を発つて仙台市に出た被告人西山や、秋田から来た鎌田克巳らと落ち合い、一旦被告人監物らの疲労が甚だしいことを理由に爆破の中止をはかつたが、結局決行することとなり、次いで当初計画のアンテナ二基の爆破は付近民家に被害を及ぼす虞れがあるところから、計画を変更してアンテナ一基と高圧受電盤とに爆弾を仕掛けたい旨はかつたところ、同人らもこれに同意し、ここに計画を一部変更して爆破を決行する旨相互に確認し合つたうえ、被告人西山の運転する車で無線中継所近くまで行き、被告人監物及び熊谷信幹、梶原譲二の三名は下車して林の中に入り、同所でダイナマイト約一〇本を一束としたものに電気雷管を装着し、右電気雷管と乾電池とを、かねて用意の時計を改造した時限閉路装置をもつ電気回路で接続した方式の時限爆弾二個及び単にダイナマイト約一〇本を一束としたもの三個の計五個のダイナマイトを組み立て、梶原譲二がカツターで無線中継所の外周のフエンスの金網を切断し、被告人監物が見張りをする間に熊谷信幹が右侵入口から無線中継所電源室東側の高圧受電盤に近ずき、同日午後一〇時ころ、右受電盤のコンクリート土台付近に右時限装置つきダイナマイトを含む合計約三〇本のダイナマイトを設置し、翌二二日午前五時四三分ころこれを爆発させ、もつて爆発物を使用した。

第一一、被告人西山は、前記高橋進と共謀のうえ、法定の除外事由がないのに、昭和四六年一一月二七日ころの夜、前記第一〇記載の犯行に用いた残りのダイナマイト約七〇本を、ビニール袋等で幾重にも包装したうえ、新潟県三島郡寺泊町大字寺泊字白岩七三八八番地の一二小黒留治方前の国有砂防林内に埋め、翌四七年二月初めころまで同所に隠匿し、もつて火薬類を所持した。

(証拠の標目)(略)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人(被告人らを含む)らは、本件につき、種々事実上、法律上の主張をするが、これらの主張に対する当裁判所の判断は、前記「罪となるべき事実」及び後記「法令の適用」の各記載からしておのずから明らかであると思われるが、なお念の為、特に重要な争点と思われるものにつき、当裁判所の考えを述べることとする。

一、爆発物取締罰則の効力について。

弁護人らは、爆発物取締罰則は太政官布告という成立形式を有するため、昭和二二年法律第七三号第一条の規定が適用され、その結果昭和二二年一二月三一日限り失効した。仮に然らずとするも、本罰則は憲法一一条、一二条、一三条、一九条、二〇条、三六条、三八条一項の各規定に違反し、同法九八条一項により無効であると主張する。

しかしながら、本罰則が法律としての効力を有することは、昭和三四年七月三日の最高裁判所の判例(刑集一三巻七号一、〇七五頁)をはじめ、その後の爆発物取締罰則違反事件に関する判例において示されているとおりであり、当裁判所も右最高裁判所の判例に従うのを相当と考える。のみならず、本罰則が、その内容において日本国憲法の各条項に何らか違反するものを含むとは到底考えられない。

弁護人らの本罰則についての違憲、無効の主張は、ひつきよう立法論をいうか、独自の解釈論を展開するものであつて、採用の限りでない。

二、被告人監物の古堅方における判示第一の爆発物製造の目的について。

弁護人らは、被告人監物が古堅方で判示第一の爆弾を製造した際、自己において右製造にかかる爆弾を使用する心算は全くなく、又共犯者の青砥幹夫が実際にこれを使用するであろうとも思つていなかつたのであるから、当時同被告人には、「治安を防げ」「人の身体財産を害せん」とする目的は存在しなかつた旨主張する。

しかしながら、同被告人は、判示冒頭に掲げたとおりの経緯から、右青砥幹夫らと共同して爆弾の製造に着手したものであつて、自らも武装闘争の実行を志し、現に前掲挙示の各証拠によれば、同被告人も右爆弾製造の場で右青砥らに対し、たとえ一般論としてではあれ、製造した爆弾を警視庁代々木警察署に仕掛けることを提案している事実が認められるばかりか、その後、旬日を出ずして判示第二の杉並警察署高円寺駅前派出所爆破の犯行に及んでいるのであつて、これら各事実を併せ考えるならば、同被告人が本件古堅方の爆弾製造に際し、これを使用して「治安を妨げ」「人の財産を害する」目的を有していたことは優に肯認しうるのである。のみならず、本件で共同して爆弾を製造した相手の青砥幹夫は、当時黄河作戦なるものを唱導しており、同作戦の眼目が警察官の殺害にあることは被告人監物も熟知していたところであり、右青砥が当日製造した爆弾をその黄河作戦に用いる意図であつたことも証拠上明らかというべきであるから、このような事情を認識して右青砥の爆弾製造に共同加功した以上、同被告人についても警察官殺害の目的即ち「人の身体を害する」目的を有していたものと評価せざるをえないのである。

なお、判示第一の爆弾製造の際、被告人監物や右青砥幹夫らにおいて、製造にかかる爆弾を何時、何処で使用するかの具体的計画はなかつたもののようであるが、およそ爆発物の製造に際し、将来これを警察施設ないし警察官に対して使用することの認識がある以上、具体的な使用の日時、場所、使用方法等がまだ定まつていなくても、爆発物製造の罪の成立を何ら妨げるものではないというべきである。

従つて、弁護人らの右主張はすべて採用できない。

三、被告人高橋、同西山の判示第一〇の仙台無線中継所爆破の犯行における正犯性について。

弁護人らは、被告人高橋においては判示第一〇の犯行において何らの実行行為をしていないばかりか、むしろ他の共犯者たちから積極的に疎外、除外されたものであり、又、被告人西山は爆破現場を見たこともなく、爆発物が何であるかすら知らされず、僅かに被告人監物から頼まれるままに、爆破の実行行為を担当した者達が犯行後現場から逃走するのを助けたにすぎないから、右両被告人らが幇助犯ではありえても、同人らに共同正犯者としての責を問うことはできない旨主張する。

なる程、被告人高橋が、本件犯行の主謀者たる被告人監物との人間関係から、実行行為担当者に選ばれず、かわつて被告人監物と同じ新劇人反戦グループの梶原譲二がこれに加わつたものと認められるが、しかしながら前掲各証拠によれば、被告人高橋は実行行為者には選ばれなかつたものの、これがために仙台無線中継所爆破の意図を放棄したものではなく、犯行後の総括会議に出席し、実行担当者が爆破規模を縮少したことを批判的に評価していることが窺われるのであつて、これら各事実に、判示のような、同被告人が本件犯行の発議提案者の一人であり、爆破のためのダイナマイトを窃取し、仙台に赴いて現地の下見をするとともに写真を撮つて帰り、右写真を基に他の共犯者らと犯行の具体的な実行方法を協議し、実行行為の担当者を決める会議に参加して同会議の決定を了承していることなどの事実を併せ考えると、同被告人がいわゆる共謀による共同正犯者であることは明らかであると言わざるをえない。

又、被告人西山は、本件謀議に関与した時期は比較的遅かつたものの、判示のとおり、実行行為担当者ならびに実行の具体的方法をとり決めた同被告人方自宅における全体会議ともいうべきものに出席し、かつ爆破行為の直前に仙台市内の自動車内等で行われた最終的な犯行の打ち合せにも参加し、更に、爆破実行担当者を爆破現場まで運び、仕掛け終つたのちは実行担当者全員及び残余のダイナマイトを積んで新潟県の自宅まで逃走し、右ダイナマイトを隠匿保管するという、本件爆破計画を円滑に遂行するうえで必要不可欠な重要な役割を果たしているのであつて、右各事実ならびに同被告人が、かねてから安保体制、米軍侵略の要石である米軍基地を破壊することによつて基地の犯罪性を広く国民に知らしめることが必要であるとの思想を抱いており、それ故に本件犯行に際しても、当初は逡巡する面があつたものの、一一月一四日以降はむしろ積極的に犯行に加担していつた事実とを併せ考えるならば、同被告人は到底幇助の域にとどまるものでなく、まさに共同正犯であると解するのが相当である。

この点についての弁護人らの主張はいずれも採用できない。

四、爆発物製造の罪と同使用の罪との罪数関係について。

弁護人らは、爆発物取締罰則三条の規定は、同罰則一条の罪の予備罪としての性質を有し、従つて製造した爆発物を使用した場合には、爆発物製造の罪は同使用の罪に吸収されると解すべきであるから、被告人高橋の判示第七の犯行は第八の犯行に吸収され、独立した可罰性を有しない旨主張する。

しかしながら、右罰則三条の規定が同罰則一条の罪の予備罪としての一面を有することは所論のとおりであるが、しかし刑法における予備罪とは甚だしく性質を異にし、予備的行為を制限的に列挙している点で一般の予備罪より狭い一方、予備行為の主体が必ずしも右罰則一条の犯罪行為の主体である必要はなく、この意味で所謂他人予備の場合をも当然に含み、かつ予備行為である右罰則三条違反の行為に対し狭義の共犯の成立が肯定されるなどの特質を有するばかりか、その法定刑も右罰則一条の罪の下限が懲役七年であるのに比し、同三条の罪の下限が懲役三年とされていて、一方が他に吸収されることが当然であると解する程の軽重の差はないのであつて、かかる点に照らすと、本罰則三条の罪は同一条の罪の予備罪的行為を規制の対象とするものではあるが、なお一条の罪とは構成要件的に断絶した独立の犯罪であると解するのが相当であり、一条の罪の実行に着手することによつて三条の罪が吸収され独立の存在を失うものではないといわなければならない。

また、被告人高橋の判示第七の犯行と同第八の犯行とは、これに参画した者の範囲もそれぞれ異なり、爆発物の数も、四個製造したうち被告人高橋は一個しか使用しておらず、他の三個は他の者が使用したという関係にあるのであつて、かかる場合、右製造と右使用とは、社会的に別個の各独立した可罰性を有する行為というべく、従つて、右製造の罪と使用の罪とは牽連関係にも立たず、併合罪と解するのが相当である。

よつて、この点についての弁護人らの主張も採用できない。

(法令の適用)

被告人監物の判示第一、第六、被告人高橋の判示第四、第六、第七の各所為はいずれも刑法六〇条、爆発物取締罰則三条に、被告人監物の判示第二、第九、第一〇、被告人高橋の判示第八、第一〇、被告人西山の判示第一〇の各所為はいずれも刑法六〇条、爆発物取締罰則一条に、被告人高橋の判示第三、第五、被告人監物の判示第五の各所為はいずれも刑法六〇条、二三五条に、被告人西山の判示第一一の所為は同法六〇条、火薬類取締法五九条二号、二一条に各該当するところ、判示第二、第八、第九、第一〇の各罪については各被告人につきいずれも有期懲役刑を、判示第一、第四、第六、第七、第一一の各罪については各被告人につきいずれも懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により、被告人監物及び同高橋については刑及び犯情の最も重い判示第一〇の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし、被告人西山については重い判示第一〇の罪の刑に同法四七条但書の制限内で法定の加重をし、なお同被告人については犯情に鑑み同法六六条、六八条三号、七一条を適用して酌量減軽をし、以上各刑期の範囲内で被告人監物を懲役一〇年に、被告人高橋を懲役八年に、被告人西山を懲役五年にそれぞれ処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中被告人監物、同高橋に対し各一、四〇〇日、被告人西山に対し一、三五〇日をそれぞれ右各刑に算入し、押収してある時計一個(昭和四九年押第二八七号の二五五)、電池一個(同号の二五六)、スライドスイツチ一個(同号の二五七)、鉄パイプ一本(同号の二五八)、チリ紙様のもの小量(同号の二五九)、油粘土の塊三個(同号の二六〇)、ダイナマイト若干(同号の二六一)、電気雷管一個(同号の二六二)は、被告人高橋の判示第七の犯行によつて生じ、かつ被告人監物の判示第九の犯行を組成したところの鉄パイプ爆弾を分解した物であつて、右鉄パイプ爆弾と同一性を有し、犯人以外の者の所有に属しないから、同法一九条一項一号、三号、二項を適用してこれを被告人監物、同高橋から没収し、訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書を適用し、これを被告人らに負担させないこととする。

(量刑事情)

被告人らの本件各犯行は判示のとおりであつて、独自の暴力革命思想に基づき、警察をはじめとする国家権力機構に対し爆弾による攻撃を加えて権力を不安動揺に陥れ、これを契機に広く大衆をして革命のために覚せい蜂起させることを目的として敢行されたもので、その態様は、爆弾に用いるダイナマイト等を予め大量に窃取し、多数の爆弾を製造したうえ、多数回に亘り連続的にこれを使用したものであつて、極めて組織的、計画的、執拗かつ悪質な事案であり、目的のためには手段を選ばず、法秩序を無視し、真向からこれに挑戦するが如き被告人らの行動は到底許しえず、その責任は厳しく追及されねばならない。

被告人らが設置した爆弾は、被告人監物が清水橋派出所に仕掛けたもののほかは悉く爆発し、同被告人が高円寺駅前派出所に仕掛けたものは同派出所休憩室の窓ガラスを四散させたばかりか、爆心から二〇〇メートルも離れた地点にまで金属破片を飛散させ、付近商店にも被害を与え、又被告人三名の仙台無線中継所爆破により、二分間通信が途絶したほか破損した機器等の修復に約二一一万円を要した実害を発生させ、更に被告人高橋らが製造した爆弾は、判示四面道派出所、清水橋派出所のほか中野警察署や本富士警察署弥生町派出所にも仕掛けられ、それぞれ爆発して、交番の建物や付近民家にもすくなからざる被害を及ぼしたのである。しかのみならず、かような本件一連の犯行に際して被告人らが用いた爆発物は、いずれも時限爆弾であつて、その性質上、仕掛けた本人は爆発時には遠く離れて安全である一方、時限装置の時刻が到来すれば、周辺の状況がどうあろうとも全く機械的に爆発するため、場合によつては交番勤務の警察官ばかりでなく、交番に所用で立寄る民間人、はては無関係な一般通行人にまで無差別的に被害を及ぼす危険が常にあつたものであり、その意味で、かかる所為を敢て行つた被告人らの犯行は、厳しく非難されなければならない。

しかしながら、被告人ら、とりわけ被告人監物は、その主観においては人身被害の発生を積極的に回避したいとの心情を有し、本件各犯行に際してもそれなりに配慮し、現実に本件各犯行を通じて人の生命身体に対する被害は全く生じなかつたこと、また被告人ら三名とも、爆弾を以てする武装闘争が方法として誤つていることを本件一連の犯行の過程で反省し、逮捕、勾留される以前にすでに自発的に鎌田俊彦らと決別し、その後の新宿警察署追分交番のいわゆるツリー爆弾事件とはかかわりを持たなかつたことなど酌むべき情状もあり、又、被告人高橋は本件各犯行を通じ熊谷信幹や鎌田克巳らに比して従的立場に終始し、判示第一〇の仙台無線中継所爆破の犯行では実行行為に加わつておらず、被告人西山は犯行全般を通じて関与の態様が極めて受動的で、右仙台無線中継所爆破に際しても、同被告人が自家用車を有しそれを運転できることから、被告人監物らに利用されたという一面も否定できず、前記のとおり共同正犯者としての責任は免れないものの、加功の程度・態様はむしろ幇助犯に近いと考えられること、その他被告人らは、いずれも、これまで前科前歴なく、若年で将来善良で健全な市民となる期待がないとはいえないこと、そのほか被告人らの生育歴、家庭環境等諸般の情状を考慮し、被告人西山には情状による減軽を施したうえ、主文のとおり刑の量定をした。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 石田恒良 神作良二 原田敏章)

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